カミュの「異邦人」を読みました。

主人公ムルソーは母の葬儀の際、泣くこともなく悲しい素振りも見せなかったため、
後の動機が「太陽のせい」という殺人での裁判で死刑になってしまいます。(キリスト教的社会での陪審員制の裁判なので)
大雑把に書くとこんな感じの小説です。
これを読んで、私が中学1年のころ祖母の葬儀の際、泣かなかったことを思い出しました。
さいころから一緒に住んでいた祖母の死なのに私は泣かなかった。
それはムルソーと同じく泣くほど悲しいことではなかったのか、祖母の死という現実を受け止められなかったのかは分かりません。
ただ、泣かなかった自分が悲しくて葬儀が終わった後コタツの中で泣いた覚えがあります。
私は小さいころから感情を大袈裟に表現することは少なかった。ムルソーもそんな人間であり、そこに共感しました。
ムルソーは自分が感じた以上には表現しない。かといって情熱がないわけではない。しかし、彼が暮らす社会では当然取るべき態度を取らなかったために異邦人とされてしまう。
私も常日頃から、「なるべく嘘はつきたくない」しかし、それを貫こうとすると「社会性がない」と判断されてしまう。というジレンマを感じています。
キレイに生きるって難しい。